近鉄大阪線旧線・青山隧道

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A地点 垣内東信号所跡

総谷隧道を抜けると旧線は進路を大きく北向きに変え、次の二川隧道までは約1200mの明かり区間になっている。 長大隧道群の貴重な明かり区間ということで戦後になって複線化して信号所が設けられ、新青山トンネルが開通するまで青山峠越えの重要な拠点となっていた。 前回紹介した総谷隧道事故もこの信号所でのすれ違いができなかったため起こったものだ。
   
垣内信号所構内。はっきりと複線幅が確認できる。 B地点 第一ゲート。車用と解釈して脇から進入。

   
一直線に続く33.3‰の急勾配。 旧線脇に僅かに残るバラストの痕跡。

 
第二ゲート。ここも徒歩なら右側から簡単に越えられる。

   
C地点 垣内西信号所跡 本線と側線の跡

複線区間の終わり垣内西信号所。複線区間の終わり垣内西信号所。ここでも信号所時代の痕跡と言えるほどの物を見つけることはできなかったが、 地形には明らかな側線の跡が残っていた。
旧線はここから単線となって、「二川」「溝口」「滝谷」の隧道群に入って行く。
   

旧線は隧道手前で大きくカーブして進路を西に戻している。

二川隧道

 
二川隧道 松阪側坑口

坑門はコンクリートに煉瓦アーチ(そう見えるだけでコンクリかもしれない)で構成されていて、昭和に入ってからの鉄道隧道にしてはやや古く見える。もっとも昭和5年に開通したと言うことなので、最後に竣工したと思われる青山隧道よりは数年早く完成していたのかもしれない。
延長は799.2mあり、これまでの私の廃隧道最長記録は福知山線旧線・北山第二隧道の413m(短い!)だったので、この二川隧道を突破できれば記録を2倍近く更新できることになる。
   
坑門上部。 隧道から松阪方面を振り返る。

 
二川隧道内部

明かり区間には目立った鉄道時代の遺構が残っていなかったのに対し、隧道内部はレールが剥がされただけでバラストはもちろん、キロポスト、標識など数多くの遺物が手付かずのまま残っている。 延長799mという長さに加えて内部の線形も全体的に緩やかなカーブを描いており、出口近くになるまで光は見えなかった。
   
内部(約300m地点) キロポスト。「7」と読める。

右の写真は100m単位の小さなキロポスト。この時は最初の発見であり、喜んで撮影したがこの先の隧道内には数えるのも面倒になるほど残っていた。
   

途中、雨のせいか霧が深くなり、フラッシュを焚くと真っ白な写真しか撮れなくなってしまった。そんな写真でも加工してみると空気の流れも見えるようで、これはこれで面白い。
走破には自己記録最長の廃隧道ということもあってかなり長く感じ、深い霧もあって精神的に疲れてしまった。
 
二川隧道 大阪側坑口

こちらの坑門もアーチ部が装飾されているが、松阪側以上にコンクリを彫って簡単にアーチ模様を刻んだだけのように見える。 少なくともブロックや煉瓦を積んで造った、というものではなさそうだ。また、坑門が斜めにカットされたような断面になっているのも、この青山越えの隧道の特徴であり何か理由があるのだろうか?
   
アーチのアップ。 二川隧道から溝口隧道を見る。

廃隧道最長記録がめでたく799mに更新されたのも束の間、二川隧道に続いて口を開けている溝口隧道にて更に記録は更新されなくてはならない。 最初からわかっていたことではあるが、この先に続く長い隧道群に少々げんなりしてしまうのであった。

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