旧国道178号線・江野隧道

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A地点

江野トンネル豊岡側坑口。
現トンネルのすぐ傍(と言うより一体化している?)に旧隧道の坑門が見えるが、接続する旧道はほとんど現道に削り取られてしまっている。 最初に訪れた時は発見が遅れて停車できず、そのまま江野トンネルに入ってしまった。
※ちなみにこの時、江野トンネルから豊岡方面に向けてネズミ捕りをしてましたよ。
   
江野隧道 豊岡側坑門 除雪車用信号跡

夏草とすぐ手前に建てられた現トンネルの「ラジオ再放送中継局舎」によって坑門の全体像は掴みにくいが、幅員の狭さだけは確認できる。 地図に残る江野隧道は現トンネルとほとんど変わらない延長(約900m)があり、この幅で大丈夫だったんかな?と思う。
坑門には本体こそ残っていないが信号が取り付けられていた痕跡があり、説明書きによると冬季に除雪車が通行する際に使用していたようだ。
 
江野隧道 3月撮影

初めて訪れた時の草木のない3月の坑門の様子。迫石、要石を持つ古そうなデザインの坑門に、戦後の左書きの扁額が取り付けられていることにアンバランスさを感じた覚えがある。
この頃はまだ「山形の廃道」の隧道リストがなかったので竣工年、長さはほぼ不明だった。
   
B地点 竹野側旧道分岐 1986年6月竣工 延長955m

 
B地点から旧隧道方面を見る。

竹野側の旧道は江野トンネル手前から独立した形で残っている。幅員は無理なくすれ違いのできる程度の1.5車線で尾根を回り込むように旧隧道に向かう。
   
C地点 古い隧道に付き物の「幅員減少」 昔懐かしい「高・中速車」の補助標識

 
江野隧道 竹野側坑門

現道の喧騒も届かない旧道最奥にひっそりと残る竹野側の坑門。この後、付近で隧道に関する興味深い記録を見つけたのでここで一部を紹介する。

江野から竹野谷坊岡に通じる街道は江戸初期より「江野坂」と呼ばれ、此坂上下十一町難所と記録にある。
明治に入り江野坂は大改修されたがその路はようやく牛馬の通れるものであったという。
昭和十八年、裏日本防備の見地から「江野トンネル」構想が樹立され事業着手をみたが敗戦により中断。 その後、昭和二十一年県事業により再開七年余の歳月と一億七千万円の工費をもって当時全国第二位の長い道路トンネルが開通した。
爾来歳月を重ねること三十年旧トンネルはこの地方の大動脈として働き続けてきたが、めざましいモータリゼーションの中で再び国道一七八号最大の難所と呼ばれるに至った。


 
江野隧道 竹野側坑門(3月)
昭和27年竣工 延長840m 幅員5.0m

隘路を一気に克服する長隧道でありながら、断面積が僅かに足りなかったために国道178号線最大の難所とまで酷評されてしまった「江野隧道」。 前後道路の線形に特に問題もなく、せめてあと1m大きく造られていたなら現在でも現役でいられたかもしれない。
この幅と高さでは大型トラック同士の離合が不可能だったのは確実で、現役時代にどのように対処していたのか非常に気になる所だ。 当時を知る方がおられたら是非ご連絡下さい。
   
左書きの扁額 大型車の離合はイラスト通り不可能だったろう。

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