近鉄大阪線旧線・東青山の廃隧道群

トップページに戻る廃線隧道一覧に戻る次のページへ



   
(新)東青山駅 四季の里

近鉄大阪線(旧参宮急行電鉄)の青山峠を含む桜井〜伊勢市間が開通したのは昭和5年のことである。
昭和34年から全線で複線化が始まり、最大の難所であった新青山トンネル(5652m)が昭和50年11月に開通し、全線の複線化は完成した。 この榊原温泉口〜伊賀上津間は勾配緩和、線形改良のため別ルートで建設されたため、山間部の多数の隧道が廃止された。
現在、東青山付近の旧線跡の一部は「四季の里公園」の遊歩道として整備されている。
 
A地点 東青山駅から四季の里の階段を登ると旧線跡が現れる。

   
B地点 親切にも総谷トンネルへの案内板がある

新総谷トンネル、新梶ヶ広トンネルの新線は青山トンネルより一足早い昭和48年12月に開通しているので、 昭和50年までの約2年間はこの辺りから新線と旧線が分岐していたはずなのだが、それらしい線路の痕跡を見つけることはできなかった。
   

隧道手前からは現在線と並走する。カーブのすぐ奥が総谷隧道。

 
総谷隧道 大阪側坑口
延長356.1m 昭和48年12月廃止

今回最初の隧道になる総谷隧道(総谷トンネル、惣谷トンネル)は三重県で最も有名な心霊スポットの一つだ。大抵この手の心霊スポットの根拠となった事件とか事故は嘘くさい物ばかりだが、 ここの事故はまぎれもない真実である。
今から33年前の昭和46年10月25日。上本町を出発した列車のブレーキが旧青山駅付近で故障、約4kmの間33.3‰の下り勾配を100km/hを超すスピードで暴走し、総谷隧道坑門に激突した。 さらに間もなく対向してきた列車が衝突し、死者25人、負傷者約250人を出す大惨事となった。
   
坑門に事故による損傷・補修の跡は見られなかった。 総谷隧道から大阪方面を見る。
   
内部の削られたような傷は事故車両が削り取ったのだろうか…。 事故現場に供えられていた花束。

 
総谷隧道内部

総谷隧道は列車衝突事故、その影響を受けた怪奇談で大きく扱われているのだが、私にとってはたまたま廃線歩きの通り道の通路に過ぎない。 そう思い込みたかったがやはり確実に多くの死者を出している隧道を歩くというのはいい気はしなかった。
   
架線の跡。等間隔に設置されている。 保線員の待避所。
   
松阪方面の出口 制限標識(松阪→大阪方面)

延長は356mだが内部は左カーブしていて大部分はどちらの出口の光も見ることはできない。 松阪側の出口が見え始めた頃、大阪行き方面に向けて65km/hの制限標識が残っていた。と言うことは大阪に向っていた事故列車も60km/h前後の速度を出していたのだろうか。

 
総谷隧道 松阪側坑口

こちら側の坑口は柵で塞がれているが、両脇の間隔がやや甘く通り抜けることができた。
   
C地点 総谷隧道から次の梶ヶ広隧道を見る。 振り返って総谷隧道を撮影。写っている鉄塔は左の画像と同じ物。

総谷隧道を抜けると新線、旧線共にトンネルの間の短い明かり区間になっていて新旧4つのトンネルの坑門を見ることができる。

トップページに戻る廃線隧道一覧に戻る次のページへ