旧三重県道722号線・迫間隧道

 
昭和50年頃の迫間隧道周辺

迫間隧道は元々は南勢町押渕から迫間を経て礫浦で行き止まりになる県道722(礫浦押淵線)の隧道であった。
昭和50年頃に三浦峠を越えていた国道260号線が海岸沿いに路線変更されることになり、県道・迫間隧道に代わって国道・迫間トンネルが開削された。
※上の地図をクリックすると地図が現在版に変更します。


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迫間トンネル 迫間側坑口 A地点

迫間トンネルには銘板が見当たらなかったので延長、竣工年等はわからないが、ポータルの造りから昭和50年前後の竣工だと思う。 昭和52年の地図にはもう迫間トンネルが記載されている。
(迫間〜相賀浦は未舗装国道、相賀浦〜大江は建設中として記載)
私は急いでいたのでA地点から旧道に入ったが、東に約100mの交差点が本来の旧道分岐だ。
   
B地点 旧県道。漁港の近くなので釣具店が多い。 C地点 「この先トンネル通行止

 
迫間隧道 迫間側坑口

通行止めの予告通り隧道手前にはゲートがあるが開いたままになっている。ここまでの旧道は全線舗装の一車線で、意外にこの日は交通量が多かった。
(その原因はこれ。普段の交通量はほとんどないと思われる)
   
特徴ある字体の扁額 隧道記念碑

記念碑に隧道建設の概要が詳細に記されていたので以下に紹介する。判読できなかったり、読めない箇所は「■」とした。 文中の御木本幸吉氏はGoogle等で検索してみると結構ヒットした。興味のある方はどうぞ。

村道迫間押淵線ハ我郷唯一ノ交通路ニシテ之ノカ改修ハ往昔ヨリ希求スル 所ナリシカ其ノ企図大ニシテ
地元独力ヲ以テハ至難ノ事ニ属シ縷々上司ニ 訴へ促進ヲ図リタルモ工費莫大ニ伴フ地元負債ヲ顧慮セラレ
認容ニ至ラズ 偶々自浦ノ真珠漁場ヲ御木本幸吉氏ニ賃貸シ其ノ経営ヲ委ヌルニ際シ本線 ノ開通ヲ徐件トシテ
金壱萬五千円ヲ同氏ヨリ寄附セラル之レヲ動機トシテ 本道改修ニ邁進スルノ議■■時■懸会議員
小切間代ノ■誠ナル指導ノ下ニ 懸費補助工事トシテ認定ヲ受ケ大正十五年七月起工シ爾来経続シテ今日ニ 至ル
此ノ間本工ヲ進ムルニナリ村百年ノ計ヲ慮リ鳴瀧峠ノ峻坂ニ隧道ヲ開 鑿スルノ有意義ナ■■■■
挙村一致萬難ヲ排シテ之レヲ決行シ萬全ヲ期ス ルニ至ル此ノ路線延長三千三百米内隧道二百二十米
工費三萬六千二百余円 総工費全七萬四千六百余円ヲ要シタリ此外附帯経費金八千四百余円ニシテ
正ニ金八萬三千余円トナル之ニ封シ懸費補助金三萬三千二百円御木本氏寄 附金壱萬五千円
押淵区負債金五千六百余円迫間区負債金二萬八百余円ヲ以 テ前後八ヶ年ヲ経テ昭和八年八月興事工ヲ竣ヘ
茲ニ多年ノ宿望遂ニ達セラ ル■ニ地方發展ニ資スル所大ナリト云フベシ■シテ此間関係當局ノ
懇切ナ ル督励ト区民協同一致ノ努力トニヨリ本事業ヲ過誤ナク完成シタルハ■ニ 感激スル所ナリ
殊ニ本工遂行ニ其ノ發企者タル御木本幸吉氏ガ毎ニ絶大ノ 援助ト■力ヲ致サレタルハ
■ニ感謝ニ堪ヘザル所ナリト云フベシ茲ニ本工 事竣工ニ際シ其ノ経歴ノ概要ヲ記シ永遠ニ記念トス

 
迫間隧道 昭和8(1933)年竣工
延長216.6m 幅員3.7m 高さ4.0m

   
隧道内部(中央部辺り) 隧道出口

内部はこの時代の隧道によく見られる出入口以外は素掘りという構造で、一部で通行止めの原因と思われる崩落が始まっている。 200m余の長さの隧道だが照明の設備は元々なかったようだ。
 
迫間隧道 押渕側坑口

こちら側の坑門は損傷激しく迫石がほとんど剥落している。 もっともこの隧道の迫石は単に坑門に貼り付けただけの装飾品なので、これが坑口の崩壊に繋がることはなさそうだ。
   
押渕側扁額。宗教的な独特の字体。 アーチ部の拡大。

   
D地点から隧道を見る。隧道上の稜線が「峻坂・鳴瀧峠」? D地点 川の対岸に国道260号が通る

押渕側も隧道の手前にゲートがあり、その先は最近車が通った形跡があったので通行止区間は迫間隧道だけのようだ。 ゲートが開いていたので車で通り抜けても良かったのだが、しばらく歩くと現国道が見えたので満足して引き返すことにした。
 
E地点から押渕地区を見下ろす。
写真の中央辺りから旧国道と旧県道が分岐している。

   
おまけ 旧国道260号線・三浦峠
こっちも道幅が狭く、急坂、急カーブの連続する悪路だった。
おまけ 相賀浦トンネル南勢側坑口
1988年6月竣工、延長597m


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