国道319号線・法皇隧道

 

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旧伊予三島市の中心部である三島と嶺南地域(旧富郷村、金砂村)は、 直線距離にして僅か5kmに過ぎないが、 その間には海抜1000mを超す法皇山脈に隔てられていた為、 昭和35年に法皇隧道が開通するまでは同じ市内でありながら 車輌での往来は不可能だった。 東西40kmに渡る法皇山脈の中で当時、 自動車通行が可能な道は山脈東端の堀切峠(昭和12年開通)が 唯一だったので、嶺南地域にとって隧道開鑿は長年の悲願であったに違いない。
法皇隧道の延長は1663m。 完成当時は四国一の長さを誇る道路トンネルであり、 50年以上経た今でも一般道に限れば四国11位の長大トンネルである。

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法皇隧道 三島側坑口

今回は現役隧道なので隧道口からレポ開始。 国道319号線の終点である金子交差点からここまで6.7kmの道のりである。
法皇隧道が完成した昭和35年と言えば国道11号の1次改築さえ完了していない時期であり、 愛媛県内には道路トンネル自体が数える程しか無かった。 それ故にやむを得ない事なのだろうが1663mという延長に比べ 有効断面積(有効幅4.4m、制限高3.5m)はあまりに貧弱で、 初めて訪れるドライバーなどは進入に一瞬の躊躇いを感じるに違いない。 しかもこちら側にはトンネル延長を書いた標識等が一切ないので知らない人は いつまで一向に現れない出口に苛立つ事だろう。 当隧道が酷道(国道)マニアの間でコアな人気を確立しているのも、 このちょっとした特異さにあるんだろう。
   
三島側坑口遠景 隧道前から三島方面を見る

私がこの隧道を通ったのは今から20年ぐらい前の事だ。 当時はまだこの道は県道6号線(高知伊予三島線)の一部で、 狭くて屈曲の連続する相当な悪路だったと記憶している。 隧道本体は県道の頃から特に変化は見られないが、 前後の取付け道は国道昇格以降は劇的に改良が進み、 近年の法皇バイパス(L=1.2km)の開通によって金子交差点〜平野橋までの区間は 全線が2車線幅になった(法皇隧道は除く)。 ただし、法皇バイパス以外の区間は現道の拡幅が基本になっている為、 依然として勾配(平均6.4%)と線形は厳しく、 新法皇トンネル等の建設で改良する余地はあるかもしれない。
右の写真の道幅が狭いのは5年前に撮った写真を使っている為で、 今月(H21.5)通った時にはここも広くなってましたよ。

 
隧道から市街地(寒川港〜市民体育館付近)を見下ろす

三島側の坑口は標高約400m。 市街地から直線距離で3kmほどしか離れていない為、 坑口からでも振り返ると市街地を見下ろす事が出来る。 国道319号沿いには所々に見晴らしの良い箇所があり、 特に隧道から北に800mほどの尾根の突端には展望台も用意されていて、 夜間などは市街と工業地帯の夜景がきれいだ。

 
法皇隧道(昭和35竣工) 三島側坑口
延長1663m、幅員4.4m、高さ3.5m

戦後の隧道らしく坑門のデザインは至ってシンプル。 せっかくの長大隧道なんだからもう少し飾っても良かった気もするが、 当時は掘削だけで精一杯で装飾の事にまで手が回らなかったのかもしれない。 実際に掘削工事は相当難航したらしく 昭和33年2月に鉄道工業株式会社によって着工したものの、 三島口から429m地点で大湧水に遭遇し工事は頓挫してしまい、 その後、井原建設工業株式会社が代って工事を進め、 昭和35年8月に漸く完工したとの記録がある。
   
三島側扁額 銘板には鉄道工業鰍ニ井原建設工業鰍フ社名が並ぶ


 

それではいよいよ入洞してみよう。 狭い隧道だが有効幅4.4m(全幅4.9m)あるので普通車同士までなら何とか離合する事が出来る。 しかし、ここはバス路線(川之江〜別子山間を1日3往復)でもあり大型車も頻繁に通るので、 それらとの離合に必要不可欠な待避所が所々に用意されている。 最初の待避所は上の写真に小さく写っている蛍光灯の所だが入口から150mはあるだろうか。

 
第1待避所

洞内は待避所間の距離感は掴み易くする為の配慮なのか、 待避所のみ明かりに蛍光灯が使用されている。 先に書いた通り普通車同士なら待避所でなくでも一応離合は出来るのだが、 対向車がいれば車種に関わらず殆ど全ての車が待避所で停止しているようだ。 (私もそうしてます)。 あと、この隧道を通過する車の特徴として対向車がいない時は 多くの車が非常にスピードを出している(80/h以上)事が挙げられる。 狭いとは言え直線の隧道なので 猛スピードでさっさと通り抜けたいという気持ちの現れなんだろう。
   
第2待避所 昭和59年度防災工事概要

二つ目の待避所の側壁には昭和59年度に行われた 防災工事の概要を記したプレートが取付けられていた。 待避所の壁の形状がここだけ違うのは防災工事の結果だろうか。 この第2待避所から第三待避所にかけての区間が 先に書いた「大湧水」の発生した三島口から429m地点に該当するので、 昭和59年度の防災工事もこの湧水に関係する物なのかもしれない。 洞内でこのようなプレートはここにしか無かった。
   
第3待避所 第4待避所

   
第5待避所 第6待避所

5つ目と6つ目の待避所はちょうど両坑口から中心辺りになる為か 消火器が備え付けられていた。 とは言えこんな所で炎上事故が起これば消火器(各一本) など使っている場合ではない気もするが…。
   
第7待避所 第8待避所

   
第9待避所 振り返って第9待避所の全景を撮影

今回レポに当たって初めて待避所の数を数えてみましたが意外にたくさんあって全部で9ヶ所ありました。 写真は車がいない時に撮ってますが、 隧道を抜けた先の翠波高原や別子山が人気の行楽地なので 普段は結構交通量が多く、どの待避所も大活躍してます。
 
法皇隧道から金砂方面を見る


 
法皇隧道 金砂側坑口

   
法皇隧道と水ヶ滝 金砂側の扁額

金砂側の坑口前は広いスペースになっていて二車線の道路の他、 駐車場やバス停のスペースまで確保されているが、これは料金所の跡なのかもしれない。 実はこの法皇隧道は建設に多額の費用を要した事から、 借入金返済のため当初は有料道路として開通しているのだ。 その後、昭和49年3月に県道に移管され通行料は廃止になっている。 手持ちの資料(昭和47年)によると各車両の通行料金は 「普乗車:150円、小乗車:150円、貸バス500円、普貨物200円、軽自動50円」 となっており、それほど高い設定ではなかったようだ。 たぶん償還は出来てないと思うけど、法皇隧道は今も建設の目的である 「嶺南の資源・観光開発と地域産業文化発展」の役割を果たし続けている。 以下に隧道横に建立されている頌徳碑の碑文を抜粋して紹介しておこう。

法皇隧道の貫通は豊かな嶺南の資源開発と地域産業文化発展のため、古く より住民の切なる念願であった。たまたま昭和二九年(一九五四)十一月、三島町外 五ヶ町村を合併市政施行に際し、嶺南地区の要望により嶺南の豊かな資源文化経済、 勝れた渓谷美と金砂湖、 平家落人の秘境天然記念物の紹介等観光開発及び愛媛高知両県に最短 横断道路の実現をはかる目的のもと農林漁業金融公庫の資金借入を行 ない伊予三島市森林組合を中心に運動委員会を設置、 測量設計を進め一方市内有志が期成同盟会を結成応援し、かくして昭和三 十二年十二月鉄道工業株式会社と工事契約、昭和三十三年二月起工、工事施 行中入口より四百二十九米の地点において断層大湧水に逢い工事頓挫し、 井原建設工業株式会社が代わって工事を担当、昭和三十五年八月延長千六百 六十三米の隧道を完成、その後、岩盤脆弱のため全面的に巻立工事を行ない 更に排水施設の改良を実施して完工、借入金返還ため有料道路としたが、 昭和四十九年三月森川市長が県道に移管し通行料を廃した。 斯くして幾多先人の努力によって成った隧道の歴史を後世に伝えるべく ここにこの碑を建立するに至った。

昭和五十年弥生

 
平野橋(奥が三島市街側)

金砂湖に架かる平野橋。 この橋は昭和46年3月架設なので法皇隧道開通から約10年間は旧橋が使われていたのだろう。 南側(写真手前)にそれらしい橋台の跡が両岸に残っている。

 
平野橋の交差点に残っている白看

   
白髪隧道 三島側坑口
 
竣工 昭和41年3月15日
標高970米、全長820米、三島へ29粁、本山へ24粁

さて、先ほどの碑文にあった「愛媛高知両県に最短横断道路」を実現する為には 旧富郷村から更に県境の山脈を越えなければならない。 こちらにも昭和41年に林道猿田白髪線(現愛媛県道126号線)の白髪隧道(L=820m、W=4.0m)が竣工していて、 銘板にもわざわざ「三島へ29粁、本山へ24粁」と刻まれている事から、 当の隧道も最短横断道路を意識している物とは思われるが、 現実には県道126号は昔から殆ど交通量の無い状態が続いており法皇隧道とは対照的である。 伊予三島と本山にはそもそも交流が無かった事に加え、 昭和40年代には国道32号、192号の整備が随分進んでいた事が原因だろうか。
 
高知自動車道 法皇トンネル(高知側坑口)

法皇隧道の東方約9kmに位置する高知自動車道のトンネルも法皇山脈を貫いている為、 法皇トンネル(L=3123m)を名乗っている。 高知道の中では県境の笹ヶ峰トンネル(L=4307)に次いで2番目の長さを持つ長大トンネルである。

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