筑後軌道跡・加々鶴隧道

 
昭和2年要部修正「日田」(1/5万地形図)
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筑後軌道は、かつて福岡県久留米市(久留米駅)と大分県日田市(豆田駅)を結んでいた軌間914mmの鉄道で、 本線の他に豆津線、千本杉線、草野線の3つの支線(いずれも久留米市内)があった。
本線は明治36(1903)年に馬車鉄道(明治39年に石油発動車へ転換)として下吉井〜 田主丸間が開業したのを皮切りに、 順調に延伸を続け、大正5(1916)年には久留米〜豆田間(46km)が全通している。
しかし、それから僅か12年後の昭和4(1928)年。 並行して国鉄・久大本線が開通、筑後軌道は全線が廃止された。
廃止から既に80年が経過している上に、 筑後軌道の名の通り、ほぼ全線が日田往還上に敷かれた併用軌道だった為、 現在に残る鉄道遺構は極めて乏しく、 本線に2つあった隧道(岸山隧道、加々鶴隧道)も昭和30年〜40年にかけて拡幅改修の上、 国道210号線に転用されている。この内、岸山隧道については旧道化している事もあって以前に 道路ネタとして簡単に取り上げているが、今回は現役国道の加々鶴隧道とその旧道を紹介しよう。

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国道210号線(日田市高井町)

筑後軌道由来の加々鶴隧道は昭和40年の拡幅改修以来、 九州を横断する大動脈である国道210号線の隧道として長く利用され続けている。 しかし現在の規格と比べると断面がやや不足している為、 高さ4mを越える車は三隈川対岸の国道386号線への迂回を強いられる事になる。 大型車の交通量も多い国道210号線だけに日田市内の至る所に 迂回を促す標識が建っているが、今の所は新トンネル等の建設計画は無いようだ。
写真は国道211号線が分岐する高井町交差点から西へ約300mほどの地点(県境付近)で、 この辺の国道上も併用軌道だったのだが、当然のように筑後軌道の痕跡は皆無である。

 
A地点 国道210号線(加々鶴バス停付近)
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長谷駅(現高井町交差点)から加々鶴隧道日田側坑口までの軌道は道路から少しだけ離れ、 独立した専用軌道になっていた為、国道の傍に廃線跡が現存している。
加々鶴バス停の傍に車を停められるスペースがあったので、 ここに車を停めて徒歩にて周辺調査を開始する。

 
B地点 筑後軌道跡 逆谷橋

専用軌道跡に残る逆谷橋。 要石を配した重厚な石造りのアーチ橋であり、 筑後軌道最大の遺構と言って差し支え無いであろう物件である。
橋上とその前後の路盤の様子も気になるし、 日田方面に向けて200mほど歩けば加々鶴隧道の手前で国道と合流するはずなので 登ってみたい気持ちもあったが、 この日は非常に暑かったのでそこまでやる気力は湧かなかった。 おとなしく国道に戻って加々鶴隧道に向かう事にした。
   
C地点 宗像神社 宗像神社改築記念碑

国道を歩いていると隧道手前の歩道脇に小さな神社が祀られているのを見付けた。 この神社自体は全国に数ある「宗像神社」の分社の一つなのだろうが、 社名を刻んだ特徴的な円筒形の碑が目を引いた。 倒れてしまっている案内板によると明治から大正時代にかけて、 国道210号の整備に利用されていたローラーであると言う。 野球部がグランドを整備するように、 人力で牽いて未舗装の路面を均してたんだろうか。 土木工事道具が神社の記念碑になっているという話は聞いた事がなく、 全国でもここだけなのではないか?

記念石の由来

本神社改築記念碑の石は明治・大正年代の県道(現在の210号線) に活躍したローラーで記念保存の目的を以って永久に茲に安置するものです。
 
加々鶴隧道 久留米側坑口

普段を車で一瞬にして通過してしまう隧道だが、 今回は徒歩なのでじっくりと坑門を観察する事が出来る。 とは言え軌道時代の名残がある訳でなく、 この場から得られる事は殆ど無い。 坑門の構造から見て改修時に10m程度延伸されているものと見られる。
隧道が改築される昭和40年まで国道は川沿いを通っていて、こちらは今では歩道になっている。 昭和4年の軌道廃止から道路トンネルとして生まれ変わるまでの36年間、 隧道がどのような状態だったのかは不明である。 旧国道を大分方面、隧道を久留米方面への一方通行として使ってたりしたら 話としては面白いが、そんな可能性を低いだろうな。

 
旧道の入口(久留米側)

鉄道由来の(蛇行している)隧道と昭和40年以前の旧国道、 どちらも通行意欲を駆り立てられるルートではあるが、 見通しが悪く決して広くはない隧道を歩けば 冗談抜きで大型車に轢かれる恐れがあるので、ここは無難に旧国道を通る事にした。 隧道も歩行者通行禁止などの標識が建っている訳ではないが、 歩道はガードレールで隧道とは分断されているので、常識的に考えて歩かない方が良いだろう。 旧道は歩道に転用する際に全区間にロックシェッドが建設されていて、 落石から歩行者を守っている。 このシェッドの坑口は国道からもよく見え、 最近まで通過時に後付新設の歩道トンネルかと思っていた。
   

なるほど、確かに旧国道である。
幅2mのシェッドの外にも3mほどの路盤があり、 路肩の至る所にガードレールや鉄棒を通すコンクリートの支柱が残っていた。 道幅は全体で5m以上は確保されていて、普通車同士なら離合に問題ない幅員だ。 もし、軌道の隧道が無かったなら、 国道の他の区間がそうであるように、 この旧道が拡幅され現在も国道だった可能性が高いように思った。
 
隧道へ続く横穴

シェッドの山側に謎の扉があったので隙間から覗いてみると、これが何と加々鶴隧道と繋がっていた。 横穴は総素掘りで緩やかな下り勾配になっており、 30mほどで加々鶴隧道と接続している。 こちら側は鍵付の扉で施錠されていたが、国道側は何ら遮られる事無く開放されている。 避難通路としての利用を想定しているのかもしれないが、 出口が施錠されている現状では、緊急時にここから脱出する事は出来ない。
この穴はまず間違いなく筑後軌道の加々鶴隧道(大正5年開業)が建設された時に造られた 横坑だと思うが確証は無かった。それにしても本坑の方は今までにも何度か通った事があったのに、 横穴の存在には全く気付かなかったな。

※ちなみに横穴の全体写真が無いのは、 ちょっと怪しげな(?)オジサンが座り込んでいた為です(笑)。
 探索中にこの手の人に関わると面倒な事が多いんで。


 
二つ目の扉

さらに50mほど進むと再び山側に同じ構造の扉が現れた。おそらくこれも隧道内に繋がっているんだろう。
   

果たしてこの扉も本坑へ繋がる横穴の入口だった。 しかも今回は一部(入口付近)とは言え煉瓦が巻き立てられており、 筑後軌道時代からの横坑であると確信を持つ事が出来た。 軌道の隧道としては短命に終わり、 その後の車道化によって失われた隧道の一部が、 今でも人知れず残っていた事は嬉しく思った。
 
旧道の出口(大分側)

全長350mほどのロックシェッドを抜けると、 隧道から出てきた国道と合流し旧道区間も終了となる。 旧道は通学路にもなっているらしく、通過中に4〜5人の中高生の自転車とすれ違った。
   
加々鶴隧道 大分側坑口 加々鶴隧道内部

大分側の坑門はロックシェッドで70m程度延伸されている。 直接地山に接する洞内最初のカーブ付近が軌道時代の本来の坑門だったのだろう。 となると現隧道の延長は372.2mなので改修前の長さは300m前後か。
 
D地点

隧道を抜けてしばらく歩けば車を停車出来るだけのスペースが見えたので、 逆谷橋付近に残してきた嫁に連絡を入れて拾いに来てもらう。 他に運転手がいる時の通り抜けの探索は楽なものである。

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