旧国道378号線・上灘隧道

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A地点 小網東橋(昭和53年10月架設)

旧双海町の中心部である上灘の入口に旧隧道が存在している。
昔の海岸道路によくある海に突き出した岩山に掘られた短い隧道で、 現道は埋立と橋梁(小網東橋)でこの難所を解消している。
   
上灘隧道 幅員減少

廃止から30年が経過しているが上灘の中心部まで旧道が続いている為、 今でも生活道路として利用されている。 また、現道の側道のような立地を生かし、 時おり県警がネズミ捕りの際に違反者を旧隧道へ誘導している事もある。 数年前までは幅員減少の標識が擁壁にもたれ掛かっていたが、 最近になってこの標識はポールから取り外され、何故か保線用の梯子に掛けらていた。

 
上灘隧道 伊予市側坑口
大正9(1920)年竣工、延長37.0m、幅員3.5m、高さ4.0m

坑門は笠石とアーチ環、それに外郭部分が石造りで、 それ以外の箇所(スパンドレル)が煉瓦製という構成の比較的シンプルなデザイン。 地形的な制約からか坑門の全幅がアーチ環の幅にほぼ等しく、 コンパクトに纏まっている印象を受ける。 扁額が無い為、長く正式名称が不明だったが全国隧道リストのお陰で上灘隧道と判明した。
隧道開通の翌年(大正10年5月)に、この道は晴れて郡道から県道(四号県道)に昇格し、 海上交通が主体だった上灘に陸上交通の幕が開ける事になった。
ちなみに四号県道はその後、一時県道指定を外されたが、 昭和30年に再び県道指定(22号・伊予長浜線)を受け、 昭和50年には国道378号線に昇格している。
   
坑門に付属している石造りの円柱
雑草が繁茂しているので元は花壇だったのかと思われるが?
長手積みの煉瓦
 

 
隧道とロックシェッドの接続部

長浜側の坑門はロックシェッドによって隠されているが アーチ環と煉瓦の一部が露出しており、伊予市側と同じ構造である事が窺える。 このシェッドも石積みにコンクリートで蓋をするという、 シェッドとしては他に例を見ない古風な造りなのでかなりの年代物なんだろう。 もしかすると隧道竣工時から存在する物なのかもしれない。
石シェルターに煉瓦トンネルという珍しい組み合わせが評価されたのか近代土木遺産Cランクに指定されている。
   
上灘隧道 長浜側坑口 B地点 隧道から長浜方面を見る

隧道を抜けると再び新道と旧道が分岐している。 上灘中心部のバイパスは小網東橋より一足早く昭和49年に開通していたので、 隧道の現役末期の数年間はバイパスに本線として接続していた。
 
現役時代の様子(昭和50年頃)
※カーソルを合わせると現在の写真に変わります

双海町誌より引用させて頂いた現役時代の写真。二車線幅から隧道手前で急激に幅員が狭まっており、 見通しの悪さもあってかなり危険な箇所だったようである。

 

最近ブックオフで買った古い旅行誌(300円)に、 偶然にも上灘隧道開通以前の道について記述があったので最後にこれを紹介しよう。

−通り穴−
国道378号線を高野川から小網に向かう途中、 「小網隧道」下の海岸にあったが、国道の拡張工事で五三年初め惜しくも埋め立てられた。 その昔、ここには海岸に面し小道があったが、岩山が海に突き出しているため 波が高いときは通行が困難だった。そこで明治の初めごろになり、 小網の次平という人が灘町組頭宇都宮峯次郎ほか有志の協力で、 ノミとツチで約二〇bに及ぶトンネルを掘り抜いた。 九州の青の洞門を思わす「通り穴」は、明治の先輩が残した偉大な足跡の一つである。

この地には明治初期に既にトンネルが造られていたのである。 前述の通り大正期にはここを通る道が郡道指定されていたので、 この「通り穴」も郡道の一部だったのだろう。 残念ながらこの記事には「通り穴」が国道工事の際に埋められた事まで記されている。 伊予市側は旧道と新道の間にある僅かなスペースは コンクリートで完全に塗り固められており絶望的だが、 長浜側は「小網隧道下の海岸」が現存しているので、 通り穴の痕跡が残っている事が期待された。


 
通り穴跡

隧道(旧道)と橋(新道)の中間の薮に突入してみると、 岩場はやや奥まっていて確かに隧道跡地としての雰囲気が感じられ、 側面には祠の跡と思しき岩場を削って作った小穴と木製の土台が残っていた。 堆積している土砂は柔らかく、 掘り起こせば明治の隧道が姿を現すかもしれない。


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