北陸本線旧線・倶利伽羅越え
 

長浜(米原)から北を目指して延伸を続けてきた北陸本線が 日本史上有名な石川・富山県境の倶利伽羅越(天田峠)をトンネル(L=946m)で越え、 高岡まで営業を開始したのは明治31(1898)年4月のことである。 天田峠は旧国道の峠でも標高150mに過ぎないが、 建設当時の北陸本線は津幡側18.2‰、石動側20.0‰の急勾配に加え、 屈曲の連続する難所であった。
これらを解消する為、昭和16(1941)年から新トンネル(単線、L=2459m)の掘削を開始し、 戦争による中断を挟んで昭和30年11月に開通、旧線は廃止された。 その後、この区間は昭和37年に複線化、昭和39年に電化が完成している。
一方、廃止された旧トンネルも昭和42年に拡幅改修した上で国道8号線に転用されており、 今なお北陸地方の幹線として現役である。

トップページに戻る廃線隧道一覧に戻る


   
松山駅 【しおかぜ9号】 岡山駅 【ひかり442号】

この日はちょっと事情があって松山駅から目的地の倶利伽羅駅まで 全て鉄道を利用する事にした。
5時過ぎの始発で松山を出れば「松山→岡山(しおかぜ)、岡山→新大阪(ひかり)、新大阪〜金沢(サンダーバード)、金沢→倶利伽羅(普通)」 という感じで昼過ぎには倶利伽羅駅に到着できる予定である。
   
金沢駅 【雷鳥9号】 倶利伽羅駅 【普通列車】

金沢駅まではサンダーバードが雷鳥だったこと以外は予定通り到着したが、 ここで3分での乗換えに失敗し1便(37分)遅れを出してしまった。 まあ、初めての駅で3分間で乗換するという計画に元々無理があったんだと 納得したものの、これが原因で後々大変な目に合うのだった。
 
倶利伽羅駅

昭和30年に新線が開通するまで倶利伽羅駅〜石動駅間は、 上下線共に後押専用の蒸気機関車を列車後部に連結して峠越えに臨んでいた。
旧線は地形図上では倶利伽羅駅の先 (地図上のD地点)で分岐しているように見えるが、 実際には倶利伽羅駅より2kmほど手前の津幡〜倶利伽羅間から旧線は始まっている。 ただし、新線にほぼ隣合っていて、目立った遺構も無いようなので、 このまま峠に向かう事にした。 そういう事なので駅構内にも旧線の跡は残っており、写真右側(現在線の南隣)に見える築堤がそれである。 奥の方で現在線と合流している様子が確認できる。

 
倶利伽羅駅舎

駅舎は小奇麗な感じだが開業時(明治42年)からの建物をリフォームして使っているらしい。 旧線時代と駅舎の位置は変わっていない為、 駅舎と現線路は旧線の敷地分だけ離れる形になった。

   
A地点 煉瓦アーチ橋 B地点 煉瓦アーチ橋

駅構内の下には2本の通路が通っていて線路はその上を暗渠で跨いでいる。 煉瓦の部分が旧線跡(単線)で、現在線(複線)は奥側に新設、延伸したコンクリート部を通っている。 新旧線は既にこの時点で1m弱の高低差が確認でき、 その差を徐々に広げて約4km先のサミットでの標高差は35mに及んでいる。
   
坂戸橋下の暗渠(南口) 坂戸橋下の暗渠(北口)

くりからバイパスの坂戸橋下で発見した暗渠は、煉瓦部分がこれまでとは反対側の北側に移っていた。 津幡からずっと新線の南側にあった旧線が、この付近で新線と交差し北側へ出たという事だ。
 
C地点 新旧線分岐

新旧線の最終的な分岐が地図上のC地点である。
ここで新線は県道286号線(旧国道8号線)を一跨ぎにして津幡川沿いに進路を取り、 新線中の最急勾配区間(それでも10‰だが)に突入し、新倶利伽羅トンネルへと至っている。

 
D地点 旧線の暗渠

旧線が分岐してすぐの所に用水路を渡る総煉瓦製の暗渠が現存していた。
全体的に非常に端整な造りで、 倶利伽羅トンネルが既に無い当旧線区間においては、 最大の遺構と言っても差し支えない逸品である。
※旧線とは関係ないけどここで捕まっている人がいましたよ。たぶんシートベルトでしょう。 通る人は要注意。

 
E地点 九折トンネル 津幡側坑口跡

九折(つづらおり)トンネルは新線には無く、 旧線にだけあった延長150mほどの小さなトンネルだ。 九折とは津幡町の大字地名だが、険しい峠越えに相応しく面白い地名だと思う。 今では一番古い旧国道でも九折も無く、 せいぜい五折だが遠い昔の道筋には、その名の通り九折があったのだと想像される。
その九折トンネルはと言うと「くりからバイパス」建設に伴い、 こちら側の坑口は完全に埋めらたようだ。 ちなみにくりからバイパスの開通は地図を見比べてみると、 平成元年〜四年の間らしい。 この頃にトンネルも埋められたんだろうな。

 
E地点から津幡方面を振り返る
※カーソルを合わせると画像が変わります

河内橋東詰。 つまり九折トンネル津幡側坑口上から倶利伽羅方面を見ると新旧線の勾配差は一目瞭然である。

 
F地点から石動方面を見る
※カーソルを合わせると画像が変わります

今度は九折橋西詰。九折トンネル石動側坑口の上から倶利伽羅トンネルを見ている。
ここからは明治から現在に至るまでの道筋全て(車道四代、鉄道二代)を俯瞰する事が出来、 その変遷と交錯を頭に描かずにはいられないスポットだ。
この中で北陸本線旧線は、 足元の九折トンネルから現国道8号線のくりからトンネルまで、 ほぼ一直線に結ばれていた。
   

九折橋の橋脚と橋台の隙間に辛うじて九折トンネル石動側ポータルは現存していた。
坑口はコンクリートによって塞がれている。が、上の写真、特に左の写真を見て思ったのだが、 このコンクリート壁は隧道を塞ぐ為というよりは、 むしろポータルを維持する為の物ではないかと思う。 と言うのも九折トンネル内部は完全破壊され存在せず、 ポータルだけが厚さ50cmほどの薄っぺらな壁として残っているように見えるのだ。 もし壁の向こうに空洞が残っていたとしたら、 重厚な九折橋の橋台をとても支え切れないだろう。
周囲の地形から見ても九折トンネルは石動側のポータルを残して破壊・開削され、 その上に盛土をして国道バイパスを通したのではないか? この想像が正しいとすれば、先に埋められたと書いた津幡側の坑口も既に存在しない事になる。
 
F地点 九折トンネルから倶利伽羅トンネルへ続く旧線跡


 
G地点 新旧国道の合流地点

明治31(1898)年に開通した北陸本線は、 新旧国道を分ける縁石の辺りを通って単線の倶利伽羅トンネルへ至っていた。 昭和30(1955)年にその鉄路は廃止となり、 約10年間を廃トンネルとして過ごした後、 昭和42年に拡幅改修され国道8号線の「くりからトンネル」として生まれ変わった。 平成の始めには「くりからバイパス」(九折〜刈安間)が開通し、 トンネルに接続する本線が付け替えられる事になった。
以上がこの写真の範囲内における道の変遷である。
   
くりからトンネル 津幡側坑口 くりからトンネル扁額

くりからトンネルの延長は957.0m。鉄道時代は946mだったと聞くので改修時に10mほど延伸されているようだ。 扁額が平仮名なのはこちらが出口の為かと思ったが、 入口である石動側も平仮名表記だったのでこれが正式名称らしい。 鉄道の面影は全く残っていないが、 石動側へ向けての上り片勾配だけは変わらないようだ。 自動車にとっては18.2‰(1.82%)の勾配など殆ど問題にならないのだろう。
拡幅されたトンネルではあるが、 生憎歩道が全く無く大型車の通行も多く危険な為、トンネル通過は避けて峠を越えて石動側へ向かう事にした。
 
倶利伽羅トンネル傍から津幡方面を見る
国道バイパスの切通しの直下に九折トンネルが埋まっている。

トップページに戻る廃線隧道一覧に戻る後編へ