京福電気鉄道・下荒井隧道(初代)

 

現在、福井〜勝山間(27.8km)を営業しているえちぜん鉄道勝山永平寺線(旧京福電気鉄道)だが、 昭和49年8月までは勝山からさらに8.6km南進して、 大野市街の京福大野駅まで営業を行っていた。
この廃線区間には下荒井隧道という新旧二つの隧道(旧=T3〜T13、新=T13〜S49) が存在しており、廃線時まで使われていた 「新」の方については以前に紹介している。 今回は前回は発見出来なかった旧隧道をようやく見付けたので、 そちらを中心に京福の廃線跡を紹介したい。

トップページに戻る廃線隧道一覧に戻る



   
勝山駅舎とコミュニティバス「ぐるりん」 勝山駅ホーム

現在の終着駅である勝山駅。 木造の駅舎は大正3年の開業以来使用されている物で、近代土木遺産Cランク、登録有形文化財にも指定されている。 近年ではこの駅自体も廃止の危機(永平寺口〜勝山間)にあったようだが、 えちぜん鉄道への譲渡によって何とか安定しているようだ。
 
中島隧道跡

勝山駅から約500m南にあった中島隧道跡。
この隧道は大正3年から昭和15年までの26年間は鉄道隧道として利用されたが、 線路が川沿いに移設(上の写真左手の小径)された為、その後は道路隧道となり、 昭和45年頃に撤去されている。おそらく隧道リストの遅羽隧道と同一物件である。

 
大袋駅跡

旧遅羽村(昭和29年合併により勝山市の一部になる)にあった大袋駅跡。
駅の痕跡と言える物は何も残っていないが、向かって左側の歩道辺りにホームがあった。 向かいには遅羽村の役場跡があり、当駅が当時の遅羽村の中心地であった事が窺える。
   
京福電鉄 大袋停留所跡 遅羽村役場跡
   
A地点 A地点 振り返って勝山側を見る。

ウ崎駅の跡地を過ぎると廃線跡は県道と別れ、難所・下荒井を越えるべく急な坂を上り始める。 新線は勾配の中ほどで隧道を穿っているが、旧線は真名川の断崖まで延々と上り続けなければならない。 これが旧ルートが僅かな期間で廃棄されてしまった理由の一つである。
 
B地点

せっかくだから廃線跡を忠実に辿ってみようと思い廃線に入り込んだものの、 築堤上は猛烈な薮に覆われて進行困難であった。 しかも先が遠くまで見通す事が出来る為、 この先まだ300mは激薮が続く事がわかりあっさり戦意喪失、 車で迂回だ。
   
C地点 下荒井六呂師口駅跡 (新)下荒井隧道 勝山側坑口

新旧線の分岐点に当たる下荒井六呂師口駅跡にはホームの一部残骸が残っている。 新線は駅を出ると521mの隧道(内部レポはこちら)で一気に大野側へ抜けているが、 旧線は等高線に沿って川岸をまだまだ登って行く。 この先で旧線は国道の下荒井隧道坑口によって一部分断されているのを、 前回の探索で確認しているので、旧隧道付近まで旧国道で移動する事にする。
 



 
D地点(奥が大野方面)

今回は旧国道から斜面に取り付き、ひたすら登って行く。 すると廃線の路盤らしき平場に出た。 廃止から80年以上経過している為、さすがに荒廃は著しいが石積みの擁壁も残っているので、 これが下荒井旧線と見て間違いない。 旧国道との高低差は遥か10m以上にも開いており、 前回はこの位置関係を誤解していたせいで旧線を発見出来なかった。
   
E地点 F地点

隧道へ向かう断崖の旧線はきつい勾配に加え小刻みに屈曲しており、 大正時代の事とは言え、旅客営業を行う路線としてはちょっとあんまりな気がする。 開業から僅か10年で新ルートに切り替えられているんだから、 当時の眼から見ても相当な難路だったんだろうな。
 
(旧)下荒井隧道 大野側坑口

路盤の荒廃とは裏腹に隧道は平然と口を開けていた。総石造りのポータルは頑丈そうだ。 築94年、廃止から84年。 使われなくなってからの期間こそ長いが、そう古い隧道ではないのだ。 延長は53.3mと短いが、全体が屈曲しているため入口から出口の光を見る事は出来ない。
   
内部も総石造り。中央部に1ヶ所待避所がある。 勝山側出口。

 
(旧)下荒井隧道 勝山側坑口

トップページに戻る廃線隧道一覧に戻る