旧国道300号線・中の倉隧道

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A地点

本栖側旧道分岐。
中之倉トンネル開通時にちょっとした広場が造られていて、大抵観光客で賑わっている人気スポットだ。 ここから見える逆さ富士は旧5千円札の図案にもなっていたそうな。
旧隧道までの旧道は県道709号線(本栖湖畔線)になっている。
   
B地点 縁石で仕切られているが今なお旧道への線形は生きている。 中之倉トンネル:1986年1月 延長558m
   
C地点 倉庫の裏に高さ制限3.8mにゲート

隧道直前で県道から離れた旧道敷きには追い越し禁止のセンターラインが姿を見せる。 このスペースは今は民宿の駐車場や倉庫の敷地になっているようだ。
ところでこの風景どっかで見たような?デジャヴの元はたぶんここかな。
 
中の倉隧道 本栖側坑口
昭和11(1936)年竣工 延長370.0m 幅員4.5m 高さ3.5m

倉庫の隙間に忍び込み坑口を撮影。
残念ながら迫石のアーチを含む開口部はコンクリで塞がれてしまっているが、石(ブロック)積みの坑門と扁額は無事に残っている。 額の題は「岳麓佳境」。正しくこの隧道を象徴する名文だ。
   
「岳麓佳境」 笠石とパラペットの間の岩肌の帯はなんだろう?



   
D地点 中之倉トンネル 下部側坑口 下部側旧道分岐点 旧道の路肩がそれて行く。

下部側の旧道も新トンネルすぐ手前から分岐している。 が、これはもう事前に存在を知っていないと気がつけないと思う。 夏場だということもあるだろうがそれほどに自然に返されている。
 
E地点 土を盛られた旧道。


 
中の倉隧道 下部側坑口

こちら側は遮蔽物がないので全体像を見ることができる。構造は本栖側と同じでやはり岩の帯が目立っている。
   
中の倉隧道 坑門前から振り返って下部方面を見る。

 
堀内勝喜翁 頌徳碑

B地点に建つ頌徳碑。おそらく本来は本栖側の旧隧道口にあった物を移設したのだろう。
人目に付きやすいこの場所にあっても殆ど顧みられることはないと思うので以下に紹介。

故堀内勝喜翁は明治二十六年三月西八代郡富里村常葉堀内五良市氏の長男に生れ資性豁 達剛毅にして直情径行の人でありました。早くより政治に志し若冠二十六歳で村収入約三 十三歳で同村助役三十六歳で富里村長を歴任し■刺たる意氣と崇高な人格識見をもつて克 く村を治め地方の開發に尽力した功績により推されて三十九歳の若さで山梨懸会議員に最 高点で当選し参事会員に選ばれ山梨懸政に寄興貢献しました。なかでも秀麗富士を中心と する岳麓の景観と天下の名湯下部温泉聖地身延山を繋ぐ下部本栖線並びに下部飯富線の開 鑿は観光山梨の懸是としさらに地方産業開発のため焦眉の急であることを提唱し幾多の障 害がありましたが翁の優れた政治手腕により巨額五十五萬円の工事費と三箇年の歳月を経 て遂に昭和十三年これを完成させたことは偉業というべきであります。今やこの路線が国 際観光路線として脚光を浴び又地方産業道路として重要な役割をもち国や懸また地方に■益 するところ大であります。更に晩年再び富里村長となり町制をしき下部町と命名して町 村合併の基礎をつくり昭和二十九年には下部温泉をして国民温泉の指定を受けるため上京 活躍中その指令を手にしつつ病をえて倒れ遂に昭和三十五年十二月他界されました。思う に翁はその生涯を地方自治の振興と産業の発展観光開發に捧げた権化ともいうべく後世 の路線を人名づけて勝喜道路というわけであります。■に地方有志相計り翁の功績を讃え 浄財を献して緑の地本栖湖畔にこの碑を建て富士と共に其の名を後の世に伝えて翁の徳に 応えんとする所以であります。
                                                       昭和三十七年四月

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