旧国道197号線・名取トンネル

 

名取トンネルは佐田岬半島を通る国道197号線の愛媛県内終点(三崎港)付近にある、 昭和53年(1978年)に開通した延長640mのトンネルである。 平成15年(2003年)頃から周辺地形に地滑りの兆候が現れ、 平成17年にはトンネル内部の覆工の損傷が見られるようになり、 調査の結果、崩落の恐れがある事が判明した。 この為、同年5月9日正午より旧国道(L=1.8km)を迂回路とし、名取トンネルは全面通行止となった。
この時点では復旧方法はまだ未定であり、取り敢えず危険防止(と調査)の為の通行止処置だったが、 同年11月頃までには「現トンネルにおける地滑り地帯の補強利用は困難」という結論に達し、 トンネル内三崎側坑口156m地点からバイパストンネル623.0mを掘削、新たに八幡浜側坑口を建設して 地滑り地帯を避ける案が採用され、 既存の名取トンネル八幡浜側約480mは廃される事が決定した。

【工事名】 国道197号線 名取トンネル災害復旧関連工事
【工期】   平成18年3月17日〜平成19年7月31日
【工事延長】L=623.0m
【施工方法】NATM工法

私は通行止が予告された平成17年4月の時点では、 現トンネルが短期間で補修され 何事もなかったかのように元通り復旧するものと思っていたので、 この報を聞いた時にはかなり驚き、通行止前に写真を撮っておかなかった事を後悔したが、 その後は通行止期間中に3度、開通直後に1度、名取トンネルを訪れて工事の様子を撮影する事が出来た。
工事の進捗と撮影日は以下の通りである。

H17.5/9正午:名取トンネル全面通行止
H17.11月頃:バイパストンネル掘削決定
H18.1/2:@1回目の訪問撮影
H18.6月頃:掘削開始
H18.8/15:A2回目の訪問撮影
H18.12/14:貫通
H19.2/11:B3回目の訪問撮影
H19.7/25正午:(新)名取トンネル開通
H19.7/26:C4回目の訪問撮影

なお、1回目と2回目の訪問日にお正月とお盆を選んでいる理由は……、同好の方ならお解りになりますよね。H19.2/11は日曜日です。

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[A地点] 八幡浜側 旧道(迂回路)分岐点

   
八幡浜側旧道分岐(@H18.1/2) 八幡浜側旧道分岐(CH19.7/26)

旧道は迂回路として利用するに当たって、特に屈曲な3ヶ所に拡幅工事を行っている。 この八幡浜側旧道分岐点もその内の1ヶ所で(あと2ヶ所は三崎側のヘアピンと新旧分岐点)、 拡幅前の旧道口は半分ぐらいの道幅しかなかった。
それでも迂回旧道は全線が4〜5m程度と狭く大型車同士の離合が難しい為、 両分岐点と中間に位置する名取口に交通整理員を配置していた。 特に九四フェリーの到着時間は必ずここで片側交互通行(10分前後待ち)になっていたので、 私のようにフェリーの発時間ギリギリに来る人間は何度も泣きを見るハメになった。 まあ、この不便さはフェリー利用者の多くが感じていたんだろうけど。
あと、迂回旧道は時間雨量2mmで通行止という通行規制が告知されていたが、 迂回路が使われていた2年強の間に実際に通行止になったという話は聞いた事がない(私が知らないだけかもしれませんが)。
 
34km先 全面通行止

さすがに九州と四国を結ぶ幹線国道の一部が通行止という事で、 期間中は県内各所(特に南予地方)に看板を設置して告知がされていた。 写真はメロディーラインの入口に当たる八幡浜の江戸岡交差点の物。



[B地点] 新トンネル分岐点

   
新トンネル分岐点(@H18.1/2) 新トンネル分岐点(CH19.7/26)

新トンネルの坑口は国道脇に元々あった広場の一角に建設された。
この広場には平成3年から4年にかけて「国道197号道路災害復旧工事」として 5つの集水井(しゅうすいせい)が既に設置されており、 新トンネルの取付道路(L=141m)は集水井を巧みに避けつつ広場を分断している。
集水井工とは地滑り地内に深い井戸(名取の集水井は地下約40m)を掘り、 集めた地下水を排水トンネルを通じて地の外に流し出し、地滑り活動を抑制するという工法である。 実は名取の地滑り災害は今回が初めてではなく、 名取トンネル開通後に既に3回(昭和58年、平成元年、平成2年)起こっている。 その都度復旧工事が実施され(平成3年には名取トンネルもPCL(アーチ状コンクリートパネル)工法によって補強)、 平成6年2月に全ての対策工事を終えていたが、 今回の災害でとうとう限界を超えてしまったという訳だ。
 
新トンネル分岐点(AH18.8/15)
掘削開始から約2ヵ月後


 
新トンネル分岐点(BH19.2/11)
貫通から約3ヵ月後。カーソルを合わせると拡大します。



旧道から[C地点] の分岐点を撮影
   
C地点 AH18.8/15 C地点 CH19.7/26

工事期間中は広場にプレハブ作りの簡易宿舎が2棟とコンクリートプラントが建てられていた。



[D地点] 名取橋
   
名取橋(AH18.8/15) 名取橋(CH19.7/26)

旧トンネル坑口に接続する名取橋(L=83.4m)。 まだまだ利用に支障のないこの橋も今回の災害で名取トンネルと共に廃道となる。 切り立った斜面に道路を確保する桟道のような役割の橋で、 地表に沿って大きな下りカーブを描いている。 このトンネルへのカーブは見通しがかなり悪く、 10年ほど前に2tトラックが名取トンネル内(八幡浜側坑口付近) を走っていた農耕車に追突する死亡事故も起きた記憶がある。
橋の完成は名取トンネルより半年遅い昭和53年7月なので、 名取トンネルは標高の低い三崎側から、 片押し施工で掘削されたのだろう。
 
旧道から見た名取橋(CH19.7/26)

旧道から名取橋を見下ろすと、すぐ傍まで平地が迫っているのが確認できる。 素人考えだが、わざわざ線形が悪い橋を掛けて旧トンネルの位置にトンネルを掘るよりも、 最初から橋を必要としない 新トンネルのルートを採った方が安く上がったんじゃないかな思う。
もっとも、広場は平成の地滑り対策の過程で造成された物で、 トンネル建設時には無かったのかもしれないけど。



旧名取トンネル 八幡浜側坑口
 
旧名取トンネル 八幡浜側坑口(@H18.1/2)

廃止が決まってから約1ヶ月半後の坑口の様子。 崩落の危険があるトンネルなのでさすがにパネルゲートで施錠されているものの トンネル自体は5/9以前のままである。
内部の変状が気になるので入洞を試みたが、パネルゲートの隙間は狭くそれは叶わなかった。 まあ、工事が進めばいつか入れる事があるかもしれない。この時はそう考えていた。
   
旧名取トンネル内部(@H18.1/2) 旧名取トンネル側壁(@H18.1/2)

パネルの隙間から撮った内部写真。延長640mのトンネルだが両坑口の高低差が約20mあり、内部はS字カーブを描いているので三崎側の出口を見る事は出来ない。
八幡浜側坑口から20mほどで巻厚が一回り厚くなっているが、 これが前述の平成3年に行われたPCL工法によって補強された区間で延長は204.0m(PCL板272枚)、 名取トンネルの廃止区間の約半分を占めている。 今回の地滑り災害では、このPCLが地圧によって崩落する可能性が浮上し、 これ以上の補強はトンネル断面の建築限界の確保が不可能な為、新ルート掘削案が採用される事となった。
トンネルの損傷は八幡浜側坑口から50mまでの箇所に集中しているという話で、 確かにここ(八幡浜側坑口)から見える範囲にはチョークでなぞられた亀裂だらけだった。

 
旧名取トンネル 八幡浜側坑口(AH18.8/15)

それから約8ヵ月。夏に訪れた時には早くも八幡浜側坑口はコンクリートで完全に塞がれていた。 新トンネル掘削開始と同時に閉鎖したのだろうか。 しばらくは地滑り調査の為に、洞内は残されるものと思っていたのでこの迅速な処置は意外に思った。 閉鎖壁右下からは排水路らしきパイプが突き出ているが、ここから内部を窺う事は出来なかった(写真はこれ)。
まあ、(この日の時点では)新名取トンネルはまだ貫通していないのだ。入口がダメでも出口があり、 三崎側からは洞内分岐が形成されている可能性もある。お楽しみはまだまだこれからだ。

 
名取トンネル扁額(BH19.2/11)

貫通後の19年2月に来た時には扁額が外されていて、 新トンネルに移設される事が予想された。 近代トンネルの扁額を間近に触れるのはこれが初めてだったけど、 非常に重く、押しても●●ても微動だにしなかった。全力で押して万が一にもドミノ倒しみたいになったら困る訳ですが(笑)
   
(旧)名取トンネル 八幡浜側坑口(CH19.7/26) (新)名取トンネル 八幡浜側坑口(CH19.7/26)

そして、これが新トンネル開通後の旧トンネルの哀れな姿。 扁額だけでも新トンネルに受け継がれた事はせめてもの救いかもしれない。 それにしても、現役時に数え切れないほど通ったトンネルだったのに、 一度も写真を撮ってなかった事が悔やまれる。

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