旧国道9号線・酒津隧道

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A地点 酒津隧道

今回はいきなり隧道である。
時間は既に午後3時を回っており、この日最大の目的地であり時間のかかりそうな田河内隧道を残していたのでこの酒津隧道に余り時間を割くわけにはいかなかったのである。
一時は新道で通過しようかとも思ったが、まだネット上でも一度も見たことのない酒津隧道も捨てがたく折衷策として旧隧道付近のみの撮影とした。
新トンネルの銘板などを確認していないのではっきりとはわからないが、昭和50年頃までは国道として利用されていたようで全線2車線幅があり、酒津漁港手前に直角の急カーブがあることを除けば至って走りやすい道である。本来漁港の最奥部分だった切り立った山肌を隧道によって抜けている。
   
路肩部分の高さは3.5m。大型車同士の離合は困難だったと思われる。 隧道手前に残る国道時代のキロポスト。京都から222km地点。
   

気高町側の坑口の傍に開通記念碑が建てられていた。急いでいたのと汚れで読みにくかったので要点だけまとめると、 資性温情に厚い□□□太郎翁という人物が酒津地区の繁栄と福祉のために隧道開削のためポンプ及び器具一切を寄付した。と言ったことが刻まれている。
当時の山陰道(国道9号線)はおそらく気高町宝木から水尻池の傍を通っていて、酒津地区は街道から外れた行き止まりの不便な集落だったのだろう。 隧道開削によって山陰地方の大動脈をこの地に移した太郎翁の功績は大きいと言わなければならない。
 
酒津隧道 気高町側坑口
昭和28年竣工 延長118m 幅員5.5m 高さ4.5m

戦後のコンクリート製の坑門だが、昭和40年代以降に大量生産されたトンネルにはない味わいがあるように見える。 先ほど見た石碑の内容も隧道を見る目に多少影響を与えているのかもしれない。
   
扁額。 内部の状態も良好。
   
酒津隧道 鳥取市側坑口。 昭和二十八年三月竣工。
   
鳥取側坑門全景 B地点から鳥取市方面を見る

昭和28年に建設された酒津隧道はその後の自動車の大型化、交通量の大幅な増加によって約20年で国道9号線としては不十分な物になった。 しかし「酒津地区の繁栄と福祉のため」と言う本来の役目は今も地元の重要な生活道路として果たし続けている。

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撮影日 2003年11月1日