旧福井県道2号線・清水谷隧道

 

福井県池田町にあったという「松ヶ谷隧道」の捜索中に地元のお爺さんに聞き取り調査を行った結果、 松ヶ谷の隧道は20年も前に埋め戻されていて現存しないという事が判明した。 残念な結果ではあるが、 この時にお爺さんの口から「今立との境の清水谷峠に明治時代に造られた隧道があって今は廃道になっている。通り抜けられるかはわからない。」 という内容の情報を頂戴した。 清水谷峠とは福井県道2号線(武生美山線)の池田・今立の町境の峠で、 訪問時の2005年10月時点では昭和5年に開通した二代目の清水谷隧道(L=493.3m)で抜けており、 それに代わる新清水谷トンネル(1434m)が工事中であった。 この時は知らなかったが、福井県のサイトに後日アップされた記事(新清水谷トンネル開通)によれば 初代隧道(L=約250m)の開通は明治43年であると言う。

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A地点 新清水谷トンネル池田側坑口 A地点から新旧分岐点(池田方面)を見る

清水谷峠へ向けて松ヶ谷から国道476号を南下、野尻橋から県道2号線へ右折する。 県道2号を1kmほど進むと早くも工事中の新清水谷トンネルが口を開けていた。 この位置に新トンネルが開通すれば清水谷峠の勾配、屈曲はほとんど解消され、 峠越えを意識する事もなくなるだろう。
   
B地点 C地点

新清水谷トンネルとの分岐を過ぎた道(旧道)は、 清水谷川に沿って直線的に登っていく。 清水谷の奥地で対岸に渡るヘアピンカーブを曲がれば二代目の隧道口である。 坑口前には高さ3.8m、幅5.0mのゲートと「自転車歩行者有り」と書かれた標識が建っている。
ここまで初代隧道への道筋を探しながら車を走らせていたのだが、 それらしき分岐は見付けられなかった。 情報源のお爺さんも池田側の正確な旧道のルートはご存知でなく、 教えられているのも今立側からのアプローチだった。
 
清水谷隧道 池田側坑口

スノーシェッドで延伸されている二代目隧道の池田側坑口。 相互リンク先のよととさんの「くるまみち」によれば、 この隧道は新トンネル開通後にコンクリートで完全に封鎖されてしまったようだ。
   
シェッド外から池田側坑門を見る 池田側扁額


 
清水谷隧道
延長493.3m、幅5.0m、高さ4.5m

二代目隧道は昭和5年竣工とされているが、隧道リストなどでは昭和31年竣工と記録されている。 昭和初期の旧版地形図にも二代目隧道の位置に隧道記号が描かれている事から、 昭和5年に完成した隧道を昭和31年に改築しているのだと思われる。
   

現在は密閉されてしまっている隧道内。 やや狭いが二車線幅があり、大型車同士が離合している光景も見られた。 洞内の中央部分約200mは地質が安定しているのか素掘り(コンクリート吹き付け)のままだった。
 
隧道内から今立側を見る

   
清水谷隧道 今立側坑口 今立側扁額

今立側の坑門も池田側と全く同じ構造。 扁額も池田側同様に右書だったので昭和5年製の改築前の扁額を使っているのかと思ったが、 左端の揮毫を見ると「福井県知事 羽根盛一」となっていた。 羽根盛一が福井県知事を務めていたのは昭和30年〜34年なので、 扁額も改築に伴い造られた物に間違いないようだ。 この後、旧扁額などが残ってないか周囲を探してみたが見付ける事は出来なかった。
 
今立側坑口遠景


 
D地点

教えて貰った初代隧道に続く旧道の入口は 「今の隧道(二代目隧道)を抜けて最初の林道」という事だった。 その言葉通り隧道を抜けて200mほど進んだ所から池田方向に向けて 登っている林道があった。これが旧々道と見て間違いなさそうだ。
   
E地点 F地点

旧々道とも林道ともつかない道は入口部分こそ勾配がきつかったが、 すぐに明治の馬車道らしい緩やかな坂道になった。 道幅もかなり広く取られていて、大部分がすれ違いの可能な幅を持っている。 もっとも道幅については後年、林道として改修された可能性もあるかもしれない。 現在は林道としての利用もあまりないのか、 チェーンで閉ざされ倒木が放置されているなど荒れ気味である。
 

二代目隧道の坑門上を過ぎると旧々道は広場になって行き止まりになっていた。 ここまでは割と近年まで林道として使われていたのだろう。 そしてその広場の片隅に明治時代の掘られたと言う、 小さな素掘りの隧道が口を開けていたのだった。

 
明治43年竣工の初代・清水谷隧道
長さは250m程のはずだが池田側の出口は見えない

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