法然山隧道

法然山隧道記念碑

                               法然山隧道と山川辻松

現在は切り通しとなっているこの道路も、以前は隧道(トンネル)でした。
隧道はこの地に住む「山川辻松」が内田地区の利便性を考え、1897年に開通させたものです。
明治の時代まで、内田村から加茂村・堀之内村に行くには、村境にある法然山を越えなくては いけませんでした。細く曲がりくねった山道は、荷車も通れず、 人々は重い荷物を背負って通っていました。そして堀之内村に鉄道が通るようになり、 このままでは内田村が発展していく世の中から取り残されると心配した山川辻松は一人で つるはしをかつぎ、隧道を掘り始めました。堅い岩盤の山は何日たっても浅い穴しかあかず、 村人も冷ややかな目で見ていたのですが、工事の大切さを理解した人達が協力を始め、 約50メートルの隧道を、7年の歳月をかけて完成させました。 その後も私財を投じ、拡幅工事を行い、地元の発展に大きく貢献されました。
隧道は1990年に更に利便性を求め、現在の切り通しとなりました。
この石柱は、当時、隧道入口に掲げられていたものです。                                   (記念板より)

現路線名
旧路線名
竣工年
現状
延長
幅員
高さ
覆工
所在地
(一)城東菊川線
(主)吉田大東線
明治30年
明治39年拡幅
大正9年煉瓦施工
平成2年撤去
49.0m
3.7m
3.2m
小笠郡菊川町

   

法然山隧道の跡地を見る(奥が菊川市街)。右の写真に写っているのが上記の記念碑である。
時代の流れによって大正時代の隧道は取り壊されてしまったが、 その後に建てられた記念碑は失われた隧道の物としては(私的に)最高水準であり、 地元の法然山隧道に対する愛着を感じずにはいられない。
他所も是非見習って頂きたいものです。
 
法然山隧道跡(奥が大東側)


 
在りし日の法然山隧道(記念碑より)

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