上張隧道(仮称)

大正9年発行「掛川」(1/5万地形図)
※カーソルを合わせると現行地図に変化します

掛川市街南部は丘陵が複雑に入り組んだ独特の地形を形成しているが、 現在の東名高速を始めとした道路(県道403号、農道掛川高瀬線等) はその地形を物ともせず縦横に突っ切っている。 これらの道路は全て戦後の高度経済成長期に建設された物であり、 それ以前はこの丘陵地帯を克服する為に少なからず隧道(上張、結縁寺亀の甲葵町)が穿たれていたようだ。
近年、市街地の拡大による造成が進んだ為、 上記の4隧道は地形図からも消滅し、その運命は極まったかに見えたのである。

現路線名
旧路線名
竣工年
現状
延長
幅員
高さ
覆工
所在地
明治期
現存
−m
−m
−m
掛川市


   
A地点から隧道方面を見る。 茶畑上段から掛川市上張地区を見下ろす。

現行の地形図にも隧道に接続する一部道が載っていたので ここ(左写真)まで辿り着いたのだが、坑口があったであろう谷間には茶畑が広がっていた。 畑の斜面がいかにも埋め立てらしく見え、 一目見て「隧道を埋めて茶畑にしたんだろうなー」と思った。

 
上張隧道

隧道が残っているとは思えなかったが、 畑の端にあぜ道のような道が続いていたので何となく登ってみた。
すると…。


 
上張隧道 北側坑口

意外にも隧道は現存していた。
しかも掛川市による「崩壊注意」の立て札が建っており、 このモータリゼーションに取り残されたような隧道が 現在も掛川市の管理下に置かれている事をアピールしている。 当隧道は明治期の地形図にも載っているまぎれもない明治隧道であるが、 断面は狭小な素掘りのままで完成以来殆ど手が加えられていない事が伺える。 古くから改修を繰り返す事が多かった遠州明治隧道の原点を知る上で 貴重な隧道であると言えよう。 例えば明治30年に開通した法然山隧道も最初期は このような姿であっただろうと考えられるのだ。

   
隧道内部 南側の出口

南側の出口は地図通り県道38号脇に口を開けているらしく、 洞内にも車の通過音が引っ切り無しと言って差し支えのないペースで響いている。

 
上張隧道 南側坑口


   
南側坑口から県道38号を見る B地点 県道38号線の上張隧道口

東名高速のアンダーパス傍で県道38号線と合流。 この場所の交差点自体は明治時代から存在していたはずだが、 今やこの分岐の存在を知る(あるいは気付く)人がどれだけいるだろうか。

 

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