山陰本線旧線 鵜飼第1隧道
 

山陰本線の前身である京都鉄道は明治32年8月に嵯峨(現・嵯峨嵐山)〜園部間を開業させた。 この内、嵯峨嵐山〜馬堀間は急峻な保津峡に沿った屈曲の連続する線形だった為、 昭和末期から始まった京都〜園部間の電化、複線化に伴い、平成元年3月に長大トンネルと 橋梁を多用した新線に変更された。
付け替えによって生じた旧線約8km(隧道8ヶ所)は一時的に廃線になったものの、 保津峡の沿線風景を活用する為、2年後の平成3年4月に早くも嵯峨野観光鉄道(トロッコ列車) として復活し、最終的に付け替えによる廃線は生まれなかった。
しかし、旧線の隧道8ヶ所の内、 現・保津峡駅傍の鵜飼第1隧道に限っては、遥か昭和3年に曲線改良のため 新トンネルが建設されており、この時以降、廃隧道となったまま現存している。

トップページに戻る廃線隧道一覧に戻る


   
保津峡駅から京都方面を見る 保津峡駅舎

京都駅から程近い当駅ではあるが、駅周辺に民家はなく、秘境駅の一つに数えられる程である。 とは言え、通過する列車も多く、ホームの大部分が近代的な橋上にある為か、 駅自体からは秘境と言った雰囲気はあまり感じられない。
ちなみに今回、鵜飼第1隧道にアプローチするに当たって、旧線の トロッコ列車(トロッコ亀岡〜トロッコ保津峡)に乗車しようと思っていたのだが、 想像以上に大人気で、この日は全便ほぼ満席だったので仕方なく 山陰本線(新線)を利用している。ご利用の際は切符の手配はお早めに。
 

橋上の保津峡駅。
奥に見えるのが渓谷沿いの旧線(観光鉄道)で、ちょうど鵜飼第1隧道の京都側坑口付近だ。 生憎、旧隧道の京都側は新線(現在線)の建設の際に埋められてしまった為、現存しない。 位置的に新線の橋台辺りに埋まっているものと考えられる。
 

保津峡駅1番のりばから見た対岸の「保津峡の壁岩」。
ここを京都府道50号線(京都日吉美山線)が鵜飼隧道(昭和16年竣工、L=30m)で抜けている。

 

2番のりばから南方を見る。
奥に見える線路は鵜飼第1隧道を抜けてきた旧線なので、 旧隧道への接近もあそこを目指して行けば良い訳だ。 見た所、駅から旧線までの観光歩道や連絡通路のような物は無さそうだが、 右岸の崖を移動するしかあるまいな。
   
旧線へのマニア道? 旧隧道坑口上に到着

旧線へと至る右岸の崖は結構険しい地形ではあるものの、 一応マニア道とでも申しましょうか、 その手の道が用意されており、 要所要所にロープが渡されているので10分弱で旧坑口へと到達出来る。 ただ、現在線と多少の高低差がある為、登りになる帰路ではそれなりに体力を消耗した。
 
旧鵜飼第1隧道 亀岡側坑口

開業から109年、廃止されてから丁度80年が経過している旧隧道だが煉瓦製のポータルに綻びは見られない。 シンプルなポータルではあるが、デンティルを付ける事で多少の装飾性を持たせている。
 
振り返るとそこはもう観光鉄道(新線)との合流点。

   
(新)鵜飼第1隧道 亀岡側坑口 旧線の橋台

(新)鵜飼第1隧道は昭和3年の開通なので面白味の無いコンクリート製のポータルである。 新旧分岐点には現在線と並んで石積み+煉瓦製の旧線の橋台が残されていた。

 
新旧分岐点から亀岡方面を見る

ここから先は旧線とは言え嵯峨野観光鉄道の営業路線なので辿る事は出来ない。 幸いな事にトロッコ列車の人気ぶりを考えると、ここが再び廃線となる事はなさそうである。

   

地図から見ると旧隧道の延長は約250mあったようだ。 当隧道廃棄の原因が「曲線改良の為」というだけだって内部は右へ大きくカーブしている。 約50mほど入った所で残念ながら水溜りに行く手を遮られてしまった。 体感は出来ないが、隧道は京都方面へ向けて緩やかな下り勾配になっている事が想像され、 進むにつれて少しずつ水位は増していくものと考えられた。 さらに洞床は私の苦手な泥に覆われていたので、閉塞地点を確認する事無くここで引き返す事にした。
 

 


トップページに戻る廃線隧道一覧に戻る